【メモ】何のために女性を「活用」するのか
もうなんかタイトルからして全力で叩かれそうな話であるがww
今週(2月24日)発売の『週刊東洋経済』の「経済を見る目」で、早稲田の川本裕子教授が「女性を活用しよう、日本は多様性がイノベーションを生むことに気づこう」みたいなことを書いている*1
何一つ間違ったことは言ってないような気もするのだが、よーく読むとこの議論の前提には、「男性と女性は違う」という主張がある。そこで、女性の活用議論の中でそれってそんなに自明だったかなぁというお話。
私が理解している限り、もっと女性の活用を、的な議論って大きく分けて3つあると思う。
1:労働力が不足してくるので、女性に働いてもらって補おう(アベノミクスの「女性活用」はおそらくこれだろうけど、今回は無視)
2:男女が違いを活かして仕事をすることで新しいものを生み出そう(今回の川本先生の主張)
3:男女平等であるから均等に扱うべきだ(フェで始まってムで終わる方々の主張)
で、チョッと考えればわかるのだけれど、2と3は共存し得ない。なぜなら、2は「男女が違う」ことを前提にしているのに対し、3は「男女が同じ」ことを前提にしているからだ。
例えば、女性議員比率が日本は低いとよく言われる。これに対して、2の立場からは「女性の視点を政治に取り入れることが大切だから」女性議員比率の目標設定(もっとラディカルな場合は、アファーマティブ・アクション的な割り当て)を設定しよう、ということになる。一方3の立場からだと「本来同じ能力を持っているはずの女性が議員になれないのは男性中心の慣行(とか)が邪魔している」、だからそれを打破するきっかけとして女性議員比率を政策的に何とかしよう、ということになる。
もっと言えば、2の観点からは男女の違うところを尊重しつつ、それで適材適所協力関係を築いていきましょう、という議論になるのだけれど、3の観点からだと男女に違いがあるなんていう見方は邪教みたいな扱いを受ける…たぶん。
個人的には2の観点からの女性活用は大変重要なことだと思っている。でも3はどうかなぁ。3の主張をする人たちは、2の主張をする人たちのことをどう思っているんだろう?あんまり争っているイメージがないんだけれど、少なくとも全く共存できない主張だよね。結局「女性の立場」の上昇(そして、その根拠が曖昧であればそれは相対的に男性の立場が下がることになる)を求めてるだけなんじゃないかと*2思うなぁ。
今回はこんなところで。